- ガイド第10回 地域の長兄
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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9世紀初頭にアンコール王朝が始まる前に、既に寺院を中心とする豊かな地域は、カンボジアには存在していました。地域を豊かにしたのは、水を管理しての二毛作の実現、経済的豊かさを争いとしない地域の聖域、結界の寺院の存在。そして結界の境界線をまたぎ、聖域と社会をつなぎ、日々の現実を調整した地域の実務高官、ポンと称えられた地域の人の活動です。彼らは聖域と社会の異なる文脈を理解し、和を実践したひとたちでした。和の精神は、地域にこそ根ざすものでした。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第9回 埋もれた記憶
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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グローバルな経済システムが広がる現代、わたしたちの中から多くの記憶が失われます。記憶は自然や地域の中で埋もれた記憶となります。また歴史は、どんな状況でも記憶がひとの社会を持続可能なものにする力があることを伝えます。9世紀初頭にはじまるアンコール王朝の基礎を作った、1〜7世紀にカンボジア南部を支配した月族の扶南(ふなん)国は、グローバルに海上貿易しながら、内陸を文化施設の寺院から開発し記憶を残します。経済発展と記憶保全の調和例といえます。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第8回 結界を持つ地域
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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豊かな地域があって都が栄える。仏教で国を形作るとした6世紀の聖徳太子の方針や、9世紀初頭からのアンコール王朝のアンコール平野の開発に通じる考え方です。またインドの古代思想には、王権なども天と地、自然の循環する大きな流れに根ざすという考えがあります。大地には人間世界だけではなく、別の世界も一緒にある。だから国境のように結界の線が引かれる。結界は聖なるものと結ばれる場所で、その中心に寺院があり、どの地域にもあり、豊かな地域を守るものでした。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第7回 アンコールへの道
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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9世紀初頭に、インドのバラモン僧の立合いのもとに聖なる山プノンクレーン丘での儀式で、大地を託された人として王を誕生させたアンコール王朝。王朝は、月毎に極端に雨量が異なるカンボジアの地域で寺院を建設し、支えていくための水路や貯水池の土木技術を、また盛土で造られたアンコールの都城につながる王道路建設にも利用し、王道路のネットワークを整備します。これがローマ帝国と同じく、王朝をおおいに豊かにしていくのです。豊かな地域が富貴なる都城を支える構造として。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第6回 文化施設から地域開発
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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宇宙観を持つ都市アンコール都城は、中心となる寺院が作られてから、水路や貯水池などの水を管理する知恵と技で、周辺地域が開発されました。実はこれはカンボジアの内陸での地域開発で行われたパターン。9世紀のアンコール王朝に先立ち、1〜7世紀にカンボジア南部を支配した月族の扶南(ふなん)国は、河川交通利用の海上貿易とともに、内陸を文化施設の寺院から開発していったのです。これは日本の難波から大和川を経て明日香・奈良に至る開発の形とかさなる部分もまたあるのです。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第5回 ローマへの道
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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アンコール王朝発展の鍵となる水の管理力・システムを作り、南インドと深いつながりがあり、1〜7世紀にカンボジア南部を支配した月族を祖先にもつ、扶南(ふなん)国。月族という名から、インドだけではなく、中国西域・シルクロード交易とのつながりも連想されます。現実に扶南の古代遺跡からは、2世紀ローマ帝国の銀貨も、中国・後漢(25−220年)の時代の鏡と同様に出土しているのです。ローマは水路と道路のシステムで築かれた帝国。アンコール王朝もまた同じです。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第4回 月族の国扶南
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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聖なる山プノンクレーン丘とアンコール都城は水でつながります。その都城を富貴なる都にしたのは、周辺の開発を可能にした水路や貯水池などの水を管理する知恵と技。カンボジアでは、雨期の9月と10月に極端に雨が集中し、他月との雨量の差が著しい。そして大地を照らし続ける太陽は、年間を通じて変わらない。王朝の水の管理力は、カンボジア南部に1〜7世紀にあった扶南(ふなん)国から受け継いだものです。彼らは月族と称し、南インドのひととモノと深く交流していたのです。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第3回 宇宙と都市
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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9世紀初頭、アンコール王朝がはじまる聖なる山のプノンクレーン丘は、実はヒマラヤの聖なる山に見立てられました。その丘からなだらかに南西にくだる地に、アンコールの都は築かれ、その中心に建てられた寺院も、また聖なる山の見立て。日本のお祭りで登場する山車(だし)も同じ聖なる山の見立てです。そこにかさなるのは、インド的宇宙観。全ての生命が廻りめぐり転生する。世界遺産アンコールの都城の魅力が色あせないのは、「宇宙観を持つ都市」だからではないでしょうか。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第2回 王権と聖山
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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9世紀初頭、アンコール王朝初代の王は、血脈に関わりなく、古くから聖なる山とされたプノンクレーン丘での、王権を授かる儀式で王となります。日本では、天と地からなる神話にはじまる血脈にそって帝位は受け継がれ、ヨーロッパでは同じ頃、血脈に関わりなく、教皇レオ3世がカール大帝にローマ皇帝の帝冠をあたえます。聖なる記憶と実力主義。アンコール王朝は、東と西の間にあったと言えるのかもしれません。また聖なる記憶は、生きるための地産とかさなっていたのです。 「アンコールへの道」記事一覧へ
- ガイド第1回 大地を託された人
- 2014年12月9日 • アンコールへの道
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日本では、世界遺産奈良・法隆寺で偲ばれる6世紀の聖徳太子、東京国立博物館宝物館の小さな金銅仏たちが伝える7〜8世紀の太子の面影に祈りにささげた時代が過ぎ、都が平安京に移り、9世紀の最澄や空海が中国・唐に渡った頃、遠く離れたカンボジアでは、大地を託された人と称えられたアンコール王朝初代の王が誕生。その名はジャヤバルマン2世、インドネシアのジャワから独立し、国内を統一するために、内陸の農業国であるカンボジアの大地を託され、王となったのです。 「アンコールへの道」記事一覧へ