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JALスカイアンバサダーが紹介する 徳島のエレガンス

2015年3月26日 • 特集
帰省していつも感じるのは、徳島の空気はとても澄んでいるということです。澄んだ空気だからこそレンコン畑の蓮も毎朝綺麗に咲き誇り、藍染めの青も唯一無二の青さに染まるのだと思います。

JALスカイアンバサダー(徳島)笠井 留美(KASAI RUMI)万環玄亀 いとなみのエレガンス

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阿波和紙 一般財団法人 阿波和紙伝統産業会館

四国三郎

豊富な水量で紀伊水道に流れ出る「四国三郎」吉野川。その吉野川から望む徳島市の象徴、眉のような姿をもつ眉山(びざん 標高290m)。徳島市内を一望し、視界が良ければ和歌山県の山々も望めます。その大らかで美しい姿は万葉集にも歌われていて、また徳島の地が朝廷と密接な関係を持っていたことも伝えます。
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吉野川から望む眉山

先端の文明

阿波の和紙はすでに8世紀に記録があり、吉野川流域に入国した、朝廷の祭礼儀式や宮殿造営を取り仕切った忌部(いんべ)氏から始まります。朝廷の実態は、文書の管理・保全。和紙はそのために貴重なもので、和紙作りは先端の文明でした。そして、紙を漉(す)く和紙作りには、原料の植物が育つ土壌と上質の豊かな水が必要。それが吉野川流域だったのです。
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新鮮な感覚で生活提案するアワガミ 阿波和紙伝統産業会館

大成功

水運に恵まれる吉野川流域に、江戸時代、蜂須賀(はちすか)阿波藩は大坂・畿内(大阪や近畿)に向けて、染料となる藍つくりを奨励します。藍つくりは、当時の消費文化の拡大とともに大成功。美馬市は藍の集散地として発展し、藍商・呉服商が栄華を極めました。当時のその繁栄ぶりは、美馬市脇町のうだつの町並みに残されています。
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美馬市脇町のうだつの町並み

こころの橋

吉野川流域で生産された藍(あい)は、染色の原料、藍玉として全国に出荷され、蜂須賀氏は、藍を専売化して藩の経済を確立します。豊かな地産は、豊かな地域文化を支えます。蜂須賀家と藍商人の経済力に支えられて、淡路島に伝播した人形浄瑠璃が、徳島・阿波で力強い芸風に育っていきます。父の藩への義、母の娘への情、その間に揺さぶられる見る者の情感。阿波の人形浄瑠璃は、江戸と現代の人をつなぐ心の橋です。

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