長崎古賀人形
ユーモラス 古賀人形で 知る歴史
古賀人形の西洋婦人のモデルは、150番目の商館長として来日したブロンホフの夫人、ティツィア・ベルフスマ。女性の出島滞在は許されず帰国し、女性は主人の帰国を待たずに死去。出島の日々が、二人の最後の一時だった。
愛くるしさが醸し出る
16世紀に製法が京都から伝えられ、まずは動物の小型人形から、やがて節句や異人の人形も登場して、江戸時代の長崎名物となりました。前後二つの型で粘土を詰め、合体。形を整え、乾燥後約800度で素焼きし、白く地染めし、目を入れ、彩色と丹念に。そして、作意がありません。