世界遺産+
インド・パッタダカルの建造物群
Group of Monuments at Pattadakal
Group of Monuments at Pattadakal
State of Karnataka, Bijapur District, Badami Taluk
日
本の木造仏塔、起源求めて
古代北インドのグプタ王朝が滅ぶ6世紀中頃から8世紀中頃まで、ヒンドゥー王朝のチャールキヤ朝がインド中部デカン地方やインド南部を支配した。この王朝は、インド南部パッラヴァ王朝の優れた石造建築を取り入れ、宗教都市パッタダカルに、ヒンドゥー寺院を建築。まずピラミッドの形をしたインド南方型の寺院が造られ、これはエローラのカイラーサ寺院にも影響を与えた。そしてヒマラヤを模し高い塔状の北方型の寺院も折衷期を経て造られる。
©2013 UNESCO
-
古
都・奈良の斑鳩町に7世紀初め、聖徳太子によって創建された。本寺の五重塔は8世紀初頭の再建ではあるが、木造五重塔として現存する最古のもの。塔内には、土でつくられた像約100体が安置され、そのうち80体が国宝。釈迦が亡くなるのを悲しむ弟子たちが造形された北面は有名。また基礎部分には釈迦の仏舎利が納められている。
-
8
世紀に聖武天皇が建立した寺院で、大乗仏教、華厳宗の大本山であり、全国の国分寺ネットワークの中心「総国分寺」とも称された。その全国のネットワークの中心に、盧舎那仏の大仏が安置され、752年に盛大に大仏開眼供養が催された。そして当時、70m以上の東西2つの仏塔、七重塔が建立されたという。まさに日本全土を頂くヒマラヤのごときである。
-
都
が平安京に遷都され、都の正門・羅城門の東で都の左京と東国を守る寺として796年に建立された。後に嵯峨天皇(786−842)より弘法大師空海に下賜され、真言密教として栄える寺院。国宝五重塔は、日本の木造仏塔として一番高い。現在の五重塔は、江戸時代第3代将軍徳川家光が寄進したもので、その中央の心柱は密教の大日如来を見立て祀る。