ブック+
著 者:土門拳
出版社:小学館文庫
本を代表する写真家、土門拳は、日本の各地を巡り寺社や伝統文化財を記録し続ける一方で、庶民の暮らしを撮り続けた。土門拳は、昭和20年代後半から30年代初頭、精力的にこどもを撮影する。みな貧しいけれど、生き生きと目を輝かせて遊ぶこどもが町に溢れていた時代で、土門はとりわけ、東京の下町のこどもを愛した。本書は、「東京のこどもたち」、戦前の代表作を含む「日本各地のこどもたち」、昭和35年の発表当時大きな話題となった名作「筑豊のこどもたち」、の3部構成による土門拳の写文集の第4弾である。幼稚園から小学生ぐらいの生意気ざかり、戦後の貧しさもどこ吹く風。路上に描かれたチョーク絵、ゴム飛び、おしくらまんじゅう。紙芝居を見る時だけ押し黙って見せる真剣な表情。彼らにかかれば町中すべてが遊び場と化す。結局、土門拳は仏像にしろ、腕白小僧にしろ、邪心のないものを被写体とした。歴史が、時代が、人が、地獄や絶望的状況に遭遇しても、その邪心のないものから生まれるチカラにこそ、人は癒され、また活力を授かる。動かぬ仏像、動き回る腕白小僧、違いはそれだけだったのかもしれない。絶対非演出の写真家土門拳にとっては。そして邪心なき腕白小僧は、私たちの中にもいる。
-
十思
スクエア(旧震災復興建築の小学校)住所:東京都中央区日本小伝馬町5-1
問合せ先Tel:-土門拳が東京で住んだ築地(つきじ)明石町は、明治期は旧居留地区で、昭和に入り関東大震災後には震災復興建築の小学校があった。こどもたちを守るために、木造ではなくコンクリート造で建てられた学校。第2次大戦の空襲で、首都東京の家屋は焼失する。しかし、関東大震災の教訓で建てられた小学校は残ったのだ。腕白小僧がいた、小学校も生き残った。震災復興建築の小学校は今なお残っている。しかし、街に子供がいない。小伝馬町(こでんまちょう)の十思小学校も廃校となり、現在は中央区の複合施設となる。
-
釈迦如来像住所:奈良県宇陀市室生78
Tel:0745-93-2003東京小伝馬町旧十思小学校の正面玄関、ファサードは大きなカーブを描き、女性的。それは関東大震災後、子供を守ろうとの思いが現れるフォルム。土門は、奈良の女人高野の室生寺で、「杉の大木に囲まれた伽藍も神秘的だったが、やさしく健やかな仏像を前にしてその日一日中堂から離れることができなかった。これこそ僕が捜し求めていた被写体なのである」という。夕陽に紅く染まる水が張られた田と最上川、腕白小僧を見つめる眼差し、共通するのは、絶対非演出の慈愛である。
室生寺蔵