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著 者:城山三郎
出版社:新潮文庫
国末期、瀬戸内海の村上水軍を率いて独立自存の勢力を誇っていた海賊の総大将・村上武吉(たけよし)。本書は、権力にも臣従することなく、己れの集団を守りぬいた武吉の生涯を通じ、時代の転換期における指導者のあり方を示唆した歴史小説。毛利家などとの争いの末に獲得した徴税権と海上支配権が、天下統一を狙う豊臣秀吉に奪われそうになると、海に生きる海賊衆の自立と誇りを賭けて戦い、武吉はじめ一族郎党は辛酸をなめる。『日本史』を記録したイエズス会のルイス・フロイスは、武吉を日本最大の海賊と評するが、一方で武吉は、一族の結束を固めるため、大三島の大山祗(おおやまずみ)神社で連歌(れんが)の会を開催するなど、中世の教養人であった。時代の転換点、その潮流には、やはり個人・集団は抗しきれない。武吉はライフワークとして「能島(のしま)流水軍戦法」という書物を残す。一族は、毛利家の家臣となり、毛利水軍の本拠地となる山口県防府・三田尻で命脈を残す。明治期、日露戦争の連合艦隊で日本海海戦の立案をする秋山真之(さねゆき)は、武吉の「能島流水軍戦法」を教材として、ロシアのバルチック艦隊を撃破し、武吉たちの村上水軍は近代日本において再び脚光を浴びた。時代の流れに逆らえないものもある、時代の流れにしっかり残るものもある。
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能島
の海住所:愛媛県今治市宮窪町宮窪1285
Tel:0897-74-1065瀬戸内海のほぼ中央、しまなみ海道の大島と伯方島(はかたじま)の間にある能島の海は、能島と鵜島(うしま)が流れを遮り、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害。中世、村上水軍がこの海を拠点に、瀬戸内の物資運搬や海上交通を掌握した。日本海海戦、天気晴朗なれども、波高し。海流が安定しない時に、時期をつかんで猛撃を加える。能島の海は、日本海海戦の現場にかさなる。潮流体験船が出る大島の港の前には、武吉を紹介する今治市村上水軍博物館がある。
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三田尻塩田記念産業公園住所:山口県防府市大字浜方381-3
Tel:0835-25-3510武吉の末裔が務めた、長州藩の参勤交代などで藩主が船で移動する際の諸事を司る船手組(ふなてぐみ)、また幕末期の海軍局は、瀬戸内海に面する防府・三田尻を拠点とした。平安時代、菅原道真公が京から大宰府へ向かう途中この地に立ち寄ったように、古くから瀬戸内海の重要な湊。江戸時代中期から全国有数の塩の産地として栄え、湊は塩の積み出しをはじめ、北前船の寄港地として栄えた。本公園は、その北前船に積み込まれ、全国に知られた三田尻の塩を作った塩浜跡。
写真左上:釜屋煙突「文化庁・登録有形文化財」
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大山祇
神社住所:愛媛県今治市大三島町宮浦3327
Tel:0897-82-0032武吉が連歌の会を開催したのが大三島の大山祇神社である。本社は、神武天皇東征に当たり先駆けて、瀬戸内航路の安全を確保した大山積神を祀る。本殿、拝殿、宝篋印塔(ほうきょういんとう)は重要文化財に指定され、隣接する宝物館には、山の神、海の神、戦の神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた歴史を語る、国宝を含む数多くの重要文化財が収蔵される。武吉の現実の直感力を磨いたのが能島の海であるならば、武吉の文化性、知性や美意識の源流は、この大山祇神社である。