謎解き 洛中洛外図

2013年3月28日

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謎解き 洛中洛外図
著 者:黒田日出男

出版社:岩波新書

中洛外図とは、京都の市街の洛中と郊外の洛外の景観を、四季の行事を含めて描く絵画である。洛中洛外図の中で、最も初期のひとつで、最も華やかなものが米沢市上杉博物館に所蔵されている「上杉本洛中洛外図屏風」。本書は、古い資料順に位置づけを検証しながら、いつ、誰が、誰に、何のために描かせたのか、などの謎に迫っていく。ひとつには上杉本には「季節の乱れ」があると指摘されていた。洛中洛外図屏風は、四季絵・月次絵の伝統に従い、京中・市街から周囲・郊外を見渡し、時間は向かって左から右に流れる構成で通常描かれる。しかし、上杉本には多数の「季節の乱れ」が描かれる。本書は、それはこの屏風の制作依頼者とその意図が反映するからとし、具体的には、公方邸の春の風景とそこに向かう官僚クラスの行列を中心とするために「季節の乱れ」が発生したと謎を解く。本書では、その制作依頼者とは、室町幕府第13代将軍足利義輝であり、その意図とは、盟友上杉謙信に贈るためとした。確かに義輝は権力をめぐり対立する幕府の政所との関係を終わらすため、外の有力大名を懐柔する。川中島をはじめ、大名間の抗争の調停を行い、また贈り物もする。納得、だ。

本から始まる旅がある。

    オススメ旅プラン
  • 祇園祭(八坂神社)

    祇園祭(八坂神社)

    住所:京都市東山区祇園町北側625
    Tel:075-561-6155

    震はじめ天災続く平安時代貞観年間の869年、疫病が流行り、災厄除去を祈願したのが始まりの祇園祭。応仁の乱以後30年以上開催されず、再開されたのが1500年で、都が都らしさを取り戻すのである。洛中洛外図が描かれ始まる理由はそこにある。後に第2次大戦期中断し、再び再開され、今も洛中洛外図に書かれた通りに京らしさを体感できる。観光客だけではなく、京都の人に愛されて支えられる祭り。苦しさを乗り越えられた記憶が受け継がれる。                                   

  • 春日山城史跡広場

    春日山城史跡広場・春日山城跡ものがたり館

    住所:新潟県上越市大豆334
    Tel:025-544-3728

    の広場には、発掘調査の成果に基づき春日山城の土塁、道、建物が復元されている。標高180mの蜂ヶ峰に築かれた一大要塞の春日山城からは、京都と交易する湊町直江津が見渡せる。上杉本洛中洛外図の制作者は別にして、1574(天正2)年に謙信に贈られる。亡くなる前の数年間にしろ、この屏風を謙信が大切にしたことは、その後、藩祖の遺品として保管されたことで解る。武勇で知られる謙信は、経済振興にも努め、町のにぎわいを育てた大名であることがそのひとつの理由。               

  • 上杉本洛中洛外図屏風

    上杉本洛中洛外図屏風

    住所:山形県米沢市丸の内1-2-1
    Tel:0238-26-8001

    宝指定、狩野永徳作、京の都を一望し、市中の洛中と郊外の洛外の四季、そこに暮らす人々の暮らしとにぎわいを描き込んだ作品。豪華であり細やか。老若男女、身分、職業とらわれずおよそ2500人。動物、植物、名所、そして祭りが散りばめられる。仮にこの図の景観年代が1561(永禄4)年なら、義輝は完成前に亡くなり、信長は桶狭間に勝ち、美濃攻略を終えた時。義輝→信長→謙信と受け受け継がれた屏風だったと黒田氏はする。

    米沢市上杉博物館蔵

謎解き 洛中洛外図

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