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編 集:群馬県立土屋文明記念文学館
出版社:群馬県立土屋文明記念文学館
書は、群馬県を代表する山であり、万葉集をはじめ幾多の文学、伝説に名を残し、現在も語り継がれる赤城山について、近代の人々が書き残した足跡を紹介する。高村光太郎、幸田露伴といった名だたる文人や、地方の一住人たちが、時は変われども姿を変えぬ赤城の魅力を、心と体で感じた記録であり、赤城の神様「赤城大明神」そして赤城神社への思いが綴られている。魂を清め、思索へと誘う山湖の静寂、自然の神秘と対話し、自らのこころの内と向き合い、彼らはそれぞれの目で赤城を見つめ作品に表した。志賀直哉、『焚火』。“Kさんは勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く放った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んでいった。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んでいく。上と下と、同じ弧を描いて水面で結び付くと同時に、ジュッと消えてしまう。そして辺りが暗くなる……舟に乗った。わらび取りの焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を回って、神社の森のほうへ静かに滑っていった。ふくろうの声がだんだん遠くなった。”大正4年、家族間の問題に悩む志賀は妻とともに赤城山で夏を過ごす。そして赤城を書く。焚火は、儚き生命(いのち)の象徴か、または生命を受け継ぐ家族の象徴か。
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赤城神社住所:群馬県前橋市富士見町赤城山 4-2
Tel:027-287-8202志賀が最初に入ったのは赤城山大洞、大沼の湖畔。大洞の名は、赤城神社が大同元(806)年に地蔵岳中腹より大沼南端の地に遷座されたことに因む。赤城神社は赤城山と湖の神「赤城大明神」を祀り、延喜式に名神大社に列せられる。朝廷の信仰も深厚で「続日本後記」にはじまり、神位の昇叙を重ね正一位に叙せられている。南北朝時代に記された「神道集」にも、赤城神社に伝わる多くの伝説が記され、当時の信仰のほどが窺える。また、江戸時代には徳川家康公を相殿に祀り、将軍家や諸大名の信仰をあつめ各地に信仰を広めた。