中国・青城山と都江堰

2013年4月25日

世界遺産+

中国・青城山と都江堰
Mount Qingcheng and the Dujiangyan Irrigation System

Dujiangyan City, Sichuan Province
      

帝というシステムは土木の理がつくる

      

中国四川省にある青城山は、中国・道教の発祥の地。紀元2世紀、張道陵は青城山の洞窟で不老長寿の秘法を得て、道教の寺院、道観を建立する。都江堰は古代の水利施設で、紀元前3世紀の戦国時代、秦の地方官李氷の設計。災いの川岷江の洪水に対し、李氷は西北部が高く東南部が低い地形に着目。中州を築き水を分け、水路を造り溢れさせた水を灌漑用水に転換。これで四川省は豊かに実る「天府の国」になり、後の秦の始皇帝を支えた。
©2013 UNESCO
  • 宮崎・岩熊井堰

    崎・延岡の中心部を流れる五ヶ瀬川の下流に、長さ260m、水路延長30kmで、灌漑面積460haに及ぶ疎水。江戸時代、荒れ地でひばりの巣と呼ばれた貧困にあえぐ出北村を、延岡藩の家老藤江監物が、享保9(1724)年に郡奉行江尻喜多右衛門に命じ、井堰と用水路の頭首工を造らせて、その歴史がはじまる。災いを転換する理が、財を生み出す。              

  • 京都・石清水八幡宮

    都の南西の男山に、平安時代に大分・宇佐神宮から八幡宮が移し勧請され、都の裏鬼門を北東の表鬼門の延暦寺とともに守護した神社。朝廷を警護した源氏は当社を武神とし、源頼義・頼朝は、鎌倉・鶴岡八幡宮を建立した。八幡市は京の都の裏鬼門にして、桂川、宇治川、木津川が合流する地点。その合流量を制御する川の背割堤が流域の平穏を生み出し、今は桜の名所となる。

  • 山梨・富士川「信玄堤」

    斐市竜王にあり、戦国期武田信玄により築かれた堤防。竜王は富士川水系の御勅使(みだい)川と釜無川との合流点で、過去に氾濫が繰り返され、甲府盆地は水害に見舞われていた。天文11(1542)年に国主となった信玄は、御勅使川流路を北側に変える等、一連の治水に取り組んだ。結果、水害から守られた竜王や甲府盆地西部は新田開発が進んだ。             

中国・青城山と都江堰

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