世界遺産+

ベトナム・胡朝の城塞
Citadel of the Ho Dynasty

      

軍の中国と対峙した

      

13世紀マレー半島西南部にインド・中国の中継貿易を担うマラッカ王国ができ、15世紀中国・明の永楽帝は、ベトナムのチャム族を祖とするイスラーム教徒鄭和の艦隊を派遣し、マラッカ王国と朝貢貿易をはじめる。一方ベトナムの胡朝は、朝貢を結ばず滅ぼされる。ベトナム北中部の省都タインホアにある縦870m横833mの明軍と対峙した胡朝の城塞。北が山、南と西が川に囲まれ、山から切り出した石板で造られた東西南北のアーチ状の門が残る。

©2013 UNESCO

  • 大阪・大阪城

    阪の上町台地北端、すぐ北の台地下に淀川の本流が流れ都の京都につながる交通の要所、石山本願寺の跡に豊臣秀吉によって築かれた大坂城。大坂夏の陣で豊臣氏滅亡後、徳川幕府が数mの盛り土をして縄張を改め、新しく築造したのが現在の大阪城の原型。結果城郭の区画は減り、城下町の区画が増え、河川・堀や架橋の整備が進み、大坂は商都に発展。            

  • 熊本・熊本城

    本市北区の茶臼山丘陵一帯に、関ヶ原の戦いのあと加藤清正がいくつかの旧城を取り込み築いた平山城。石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては日本一とされ、豊臣秀吉の大坂城を継承した城。そして石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、攻めてきた武者が登りきれない武者返しの傾斜をもつ。              

  • 愛知・名古屋城

    ケ原の戦いで勝利した徳川家康は、豊臣家に対する最大の軍事拠点として、名古屋城を築いた。天守台の普請は加藤清正が、天守の建築は小堀遠州が担当した。1612年(慶長17)に天守が完成し、家康の九男・義直を城主とした。1615年(慶長20)の大阪夏の陣では、家康はここから出陣した。義直を初代とする尾張徳川家は江戸時代を通じて、名古屋城を拠点に尾張を支配した。


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