茶の本

著 者:岡倉天心
出版社:岩波書店

倉天心(1863−1913)は、東京藝術大学の設立に大きく貢献し、東京国立博物館の美術部長もつとめた文部省官僚であり文人・哲学者。この本は1906年ニューヨークで、英語で出版されたものである。天心は、「宗教においては未来はわれわれのうしろにあり、芸術においては現在が永遠になる」と語り、「(庭園の中に独立して建てた茶室)数寄屋は好き家である。そこにはパセセイジ(パッサージュ=通過)だけがある」という。ベンヤミンが、「パリ―19世紀の首都」というエッセイで、パリにつくられたアーケード街、「パサージュ」を観察したことにかさなり通じる。グランシェフがつくる現代の料理にも、フランス料理の伝統が、グランシェフひとりひとりの故郷が、その家族の面影が隠されている。そして大地の主観的体験から生まれる質感、「クオリア」が潜む。職人と商業は述語と方法を神とする。結界といわれる柵を超えて、茶室に向かう踏み石や植栽から、茶室の中のその日設えられた掛け軸や調度には、文化や歴史が隠されている。そしてひとは、お茶を通じ、文化や歴史の「クオリア」を知る。いずれ覚める明日の進歩の夢より、現代にある過去の意味を読みとく。

本から始まる旅がある。

    オススメ旅プラン
  • 竹の生垣(桂離宮)

    竹の生垣(桂離宮)

    住所:京都府京都市西京区桂御園1
    問合せ先Tel: 075-211-1211(宮内庁京都事務所)

    条理を軽(かろ)みでパサージュ。「イケコロシ」の竹の生垣。この離宮は江戸期、八条宮智仁(としひと)親王が建てた別荘で、造営時の庭園と建築が残る。桂川の水を引く池を中心に、茶屋、築山(つきやま)等を配した回遊式庭園。書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れる軽(かろ)みの美。竹の生け垣はその象徴である。智仁親王は秀吉の猶子となるが、秀吉の実子誕生で皇籍に復帰。しかし、復帰した親王は皇位継承できず、八条宮家が新たに創られた。親王は歌人である。その柔軟さと一途さ、竹のごとく。                       
    ※参観は事前申込(宮内庁HP参照)

  • 石清水八幡宮

    石清水八幡宮

    住所:京都府八幡市八幡高坊30
    Tel:075-981-3001

    花堂弁当は、茶道に通じた江戸期の松花堂昭乗に由来。昭乗は当宮瀧本坊の住職。岩清水八幡宮は国家第2の宗廟で、三座の神を八幡大神と称する。そして、八幡大神の神の使いは鳩である。現在の本殿は、寛永11(1634)年、徳川三代将軍家光によって造営された。随所に極彩色の彫刻が刻まれた桃山期を経て、近世建築の粋を集める壮麗な社殿。本殿正面に、極彩色の鳩が彫刻される。昭乗は、神のお使いであったのかもしれない。                                                            
                    

  • 千利休作「竹一重切 花入 銘 園城寺」

    千利休作「竹一重切 花入 銘 園城寺」

    住所:東京都台東区上野公園13-9
    Tel:03-3822-1111(代)

    利休が、天正18(1590)年、秀吉の小田原攻めに同道し、伊豆韮山(にらやま)の竹をもって作った3作の花入の内の1作である。真竹の2節を残し,一重の切れ込みを入れた簡潔な作で、以後、竹花入の流行を生む最初期の古典となる作品。子息千少庵が裏側に彫った「園城寺」の銘は、表面の干割れ(ひわれ)を滋賀県・大津の園城寺(三井寺)の破れ鐘にちなんだもの。利休はこの年、愛する弟子の山上宗二(やまのうえそうじ)を小田原で失い、翌年の年が明けて自身が切腹することになる。          

    東京国立博物館所蔵


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