てん
の皮 (司馬遼太郎短編全集 12)

著 者:司馬遼太郎

出版社:文藝春秋

国の風に乗じてささやかながらも一軒の家をおこした脇坂甚内(安治)は、近江の出身。筋目正しき室町大名六角氏(佐々木氏)の家臣だったというが、野伏同然の素性とも自称する。近江小谷(おだに)城の浅井氏との戦い以来秀吉に仕え、「床几(しょうぎ)まわり」のひとりとなり、天正11(1583)年の柴田勝家との戦いで「賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍」のひとりとして武名をあげ、のち関ヶ原の戦いで西軍につくも、戦後家康に封領を加増され、江戸時代も大名として脇坂家を存続させる礎を築く。七本槍の仲間で最後まで残ったのは脇坂家だけ。脇坂家の戦国時代の馬標、江戸時代の大名行列の先頭いく槍の鞘は、霊獣・貂の雄と雌の皮。それは甚内が敵将、丹波船井郡・氷上郡の赤井直正から譲られたもので、足利尊氏のころ、赤井家当主の景忠が丹波大江山でとらえた貂に由来し、当家の家宝。千夜千冊で紹介される20世紀のフランス社会学者モースは、アメリカのネーティブインディアンやパプア・ニューギニアのクラ交易の文化の中に、贈物やモノの交換を通じて、ひとの生命(いのち)や生きた証、そして不思議な力が受け継がれると信じる歴史があることを調査報告している。戦国時代から江戸時代を生き抜いた脇坂家にも、そんな不思議な力が受け継がれたのかもしれない。

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  • 古い町並み

    古い町並み
    たつの市龍野町立町
    たつのちょうたてまち

    問合せ先:たつの市観光協会
    Tel:0791−64−3156

    文12(1672)年、脇坂家3代目老中堀田家から養子の安政が信濃飯田から、揖保川に朝夕深い川霧がたつ龍野に移る。この地で200年、維新まで生き延びる。しかし5万3千石の石高は変わらず、参勤交代の費用は倍以上。安政実兄の改易蟄居もあり、決して割の合う国替えではない。のちに老中もつとめる格式と経済力のために知恵を絞る。結果、江戸期日本を代表する醤油醸造、明治期童謡赤とんぼの詩人三木露風が生まれる町並みが醸成されたのだ。                     
                                                                 

  • 龍野城 本丸御殿

    龍野城 本丸御殿

    住所:兵庫県たつの市龍野町上霞城
    問合せ先Tel:0791−64−3156(たつの市観光協会)

    極氏26万石が四国に移り10年以上天領地の龍野に、安政はやって来る。藩主の屋敷もなく間借りの時期もあった。室町期赤松氏築城の山城登山口にあった平城、本丸御殿を拠点とすべく、幕府からは借金。江戸期末、京都所司代をつとめ朝廷とつながりを深める脇坂であるが、はじまりはそこ。復原本丸御殿を飾るのは、樹皮繊維を混ぜて漉く鳥子紙(とりのこがみ)に、金箔の粉を膠(にかわ)水に溶き混ぜ、はけで何度も引いて、はけ目を消す襖紙の最高級品。脇坂家の積み重ねの歴史を偲ぶ。
                                                            

  • 赤穂城請取行列絵巻

    赤穂城請取行列絵巻

    住所:兵庫県たつの市龍野町上霞城128−3
    Tel:0791−63−0907(たつの市立龍野歴史文化資料館)

    馬は、脇坂家は別に歴史を動かそうと思ったこともないに違いないというが、大きな歴史の舞台には出くわす。老中職についても、桜田門外の変、勅可なきハリスの日米修好通商条約締結で責任問題が問われ、外様雄藩の藤堂家から養子を迎え藩主とし難を逃れる。忠臣蔵の赤穂城請取りも脇坂家。この時の大名行列絵図に、貂の皮が槍の鞘で登場する。イタチ科の貂は、狐や狸を上回り化ける。割の合わない脇坂家は、変化自在を旨とするというシンボルだ!                  

    ※画像:たつの市立龍野歴史文化資料館蔵


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