平泉藤原氏
著 者:工藤雅樹

出版社:無明舎

書は著者の岩手日報57回の連載がベース。平安時代11世紀、都では、末法の世の考え広がり、貴族は仏結社や浄土庭園をつくる。貴族たちの浄土景観や美術造形の意味は、個人の浄土への願い。インドから中国に入った仏教を唐文化に憧れての模倣である。12世紀、奥州藤原氏は、北方交易や金山開発し、平泉に仏教浄土を建設。これは都や中国・唐文化の模倣ではない、地域の歴史に根ざす独創である。アタラシイ都平泉の開発は、けっして奥州藤原一族だけの行く末を願うものではなかった。大化の改新の7世紀に新潟県村上に磐舟(いわふね)城柵、8世紀に宮城県に多賀城、9世紀には岩手県北上川と雫石川合流点に志波(しわ)城と、朝廷は秋田・盛岡ラインまでエミシとの境界線を北に押す。10世紀、将門の乱から律令制が混乱し、地方は荘園制、中央は院制に変容する中、藤原清衡(きよひら)の母の一族、エミシの安倍氏は、衣川(ころもがわ)の北、奥六郡で力を蓄え南下する。ここで、前九年の合戦以来の朝廷とともに一族間同士も戦う11世紀が始まる。その歴史に立ち、知恵と工夫の外交交渉で、50年後、清衡は平和的に衣川の南に出る。一切衆生(いっさいしゅじょう)、悉有仏性(しつうぶっしょう)、生きとし生けるものすべて、浄土へいけ成仏できうるという思想を見える化する。つらい経験を学びとかえて、明日を拓く。藤原清衡はアタラシイ!

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    オススメ旅プラン
  • 長者ヶ原廃寺跡

    長者ヶ原廃寺跡

    住所:岩手県奥州市衣川区
    問合せ先Tel:0197-35-2111(奥州市世界遺産登録推進室)

    1000年前に建てられた寺院の跡。3棟の礎石建物は、ロ字形に巡る築地塀に囲まれ、中央よりやや北側に本堂、西側に塔、南に南門がある。これらの中軸線は揃えられていて、高い技術で建立されていたことが分かる。また本堂と南門の中軸線を南に延長すると、中尊寺が鎮座する関山の最高点に到達する。築地塀は格式の高い寺院や役所でなければ造ることを許されておらず、大変な労働力を必要とした。相当な権威と権力をもった人物は、奥州藤原氏の母方の祖先である安倍氏以外に見あたらない。藤原清衡が平泉に中尊寺を建立する以前から衣川に仏教文化が華開いていたことを伝え、平泉文化の形成過程を明らかにする上で欠くことのできない重要な遺跡である。

             

  • 志波城

    志波城
    しわじょう
    古代公園

    住所:岩手県盛岡市上鹿妻五兵エ新田48-1
    Tel:019-658-1710

    世紀、朝廷は陸奥北半部もその版図に組み込むべく志波城を建設。築地塀で守られ政庁も置いたその大きさは、約1km四方で平城京にも匹敵。行政機能とともにさまざまな文化がもたらされ、蝦夷とよばれた地域の人々と大和人との接点となった。より北方の蝦夷たちも志波城に朝貢に訪れたりし、天皇の徳をもって地域を支配する当時の政策の一端がうかがえる。                                                                                                                      

               

  • 中尊寺建立供養願文

    中尊寺建立供養願文

    住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202
    Tel:0191-46-2211

    川を南北の境界線として戦った朝廷と蝦夷(エミシ)。繰り返された戦いで、南の福島・白河の関から北の青森・外ヶ浜まで、多くの人や、生き物たちが、はかなき生命(いのち)を罪なく失った。それらの魂が、みな安らかに浄土に導かれることを願い、供養の鐘を鳴らす。この願文は、奥州藤原初代清衡(きよひら)の思想の大きさ、視野の広さを示す文化財である。そして、その大きさや広さは、清衡がいかに優秀であろうとも、一代で築けるものではない。藤原氏の浄土景観思想がよくわかる。

    ※画像:中尊寺蔵

                                                                  


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