中国・「天地の中央」にある登封の史跡群

2013年4月25日

世界遺産+

中国・「天地の中央」にある登封の史跡群
Historic Monuments of Dengfeng in “The Centre of Heaven and Earth”

      

西と南北をつなぐ景観

      

少林寺拳法の発祥の地、黄河の南、中国河南省、嵩山(すうざん)の山々は、古来より仏教、儒教、道教などの聖なる山として“天地の中心”とよばれ、多くの歴史的建造物が建てられた。中国最古儀礼用の石碑が残り、古代の蹴鞠の光景や、漢字の原型の文字も刻まれる。高さ12m、中国最古の天文台の1つがあり、世界的にも正確な暦がつくられた。
©2013 UNESCO
  • 奈良・吉野神宮

    良・吉野町にあり、後醍醐天皇(1318−1339)を祀る神宮として明治25年(1892)に造営された神社。南朝の後村上天皇は、後醍醐天皇の崩御後、その像を吉野・金峯山寺の僧坊・吉水院に祀る。その吉水院が明治6年(1873)に後醍醐天皇社と神社になり、その後吉野神宮に引き継がれた。現在の社殿は昭和7年新しく造営。国登録有形文化財。  

  • 奈良・金峰山神社

    良・吉野町、吉野山の最奥部の標高858m青根ヶ峰近くにある、吉野山の地主神を祀る。吉野・金峰山は、役行者(634−701)が開いて以来、神仏が習合する蔵王権現の山とされた。明治の神仏分離により、寺院と神社は分離される。寛弘4(1007)年左大臣藤原道長は、吉野の大峰山に参詣し、当社所蔵の経筒を納め、人智及ばぬ心願成就を果たす。        

  • 奈良・賀名生の里歴史民俗資料館

    條市の丹生川の下流の賀名生は、南北朝期に南朝の宮が置かれた地域で、南朝の皇居として使われた堀家の屋敷が史跡として残る。賀名生の里歴史民俗資料館では、西吉野の歴史やくらしとともに、堀家に伝わる南朝の宝物など貴重な歴史資料を展示する。賀名生は、和歌山・高野と奈良・吉野を結ぶ地にあり、九州から関東までを南北をつなぐ中央構造線上にある。

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