「あゝこれ山」(赤城山文学紀行)

2013年3月21日

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「あゝこれ山」(赤城山文学紀行)
編 集:群馬県立土屋文明記念文学館

出版社:群馬県立土屋文明記念文学館

書は、群馬県を代表する山であり、万葉集をはじめ幾多の文学、伝説に名を残し、現在も語り継がれる赤城山について、近代の人々が書き残した足跡を紹介する。高村光太郎、幸田露伴といった名だたる文人や、地方の一住人たちが、時は変われども姿を変えぬ赤城の魅力を、心と体で感じた記録であり、赤城の神様「赤城大明神」そして赤城神社への思いが綴られている。魂を清め、思索へと誘う山湖の静寂、自然の神秘と対話し、自らのこころの内と向き合い、彼らはそれぞれの目で赤城を見つめ作品に表した。志賀直哉、『焚火』。“Kさんは勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く放った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んでいった。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んでいく。上と下と、同じ弧を描いて水面で結び付くと同時に、ジュッと消えてしまう。そして辺りが暗くなる……舟に乗った。わらび取りの焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を回って、神社の森のほうへ静かに滑っていった。ふくろうの声がだんだん遠くなった。”大正4年、家族間の問題に悩む志賀は妻とともに赤城山で夏を過ごす。そして赤城を書く。焚火は、儚き生命(いのち)の象徴か、または生命を受け継ぐ家族の象徴か。

本から始まる旅がある。

    オススメ旅プラン
  • 赤城山大沼

    赤城山大沼

    問合せ先:県立赤城公園ビジターセンター
    Tel:027-287-8402

    沼は、黒檜山(くろびやま)や駒ケ岳、地蔵岳などの外輪山に囲まれた、標高1,350m付近の赤城山山頂エリアにあるカルデラ湖。3万年前までの赤城山の火山活動で作られた。志賀直哉が大正4年の夏を実父との不和から神経を痛めた妻の健康を取り戻すために過ごした場所である。キャンプや水遊び、ボート、散策、サイクリング、冬のワカサギ釣りなど、山頂エリアのレジャーの中心地。百年前に志賀夫妻がこころと身体を癒した生命(いのち)の力が今も湧いている。                            

  • 赤城神社

    赤城神社

    住所:群馬県前橋市富士見町赤城山 4-2
    Tel:027-287-8202

    賀が最初に入ったのは赤城山大洞、大沼の湖畔。大洞の名は、赤城神社が大同元(806)年に地蔵岳中腹より大沼南端の地に遷座されたことに因む。赤城神社は赤城山と湖の神「赤城大明神」を祀り、延喜式に名神大社に列せられる。朝廷の信仰も深厚で「続日本後記」にはじまり、神位の昇叙を重ね正一位に叙せられている。南北朝時代に記された「神道集」にも、赤城神社に伝わる多くの伝説が記され、当時の信仰のほどが窺える。また、江戸時代には徳川家康公を相殿に祀り、将軍家や諸大名の信仰をあつめ各地に信仰を広めた。

  • 赤城山夏祭り

    赤城山夏祭り

    問合せ先:赤城山夏祭り実行委員会
    Tel:027-210-2189 (前橋市観光課内)

    暑でも山頂は、白樺の木陰に涼しい風が吹き、ふもとより10度は低い赤城の夏。赤城山夏祭りは、標高1310mの赤城山大沼湖畔で行なわれる赤城神社の神事で、夏の風物詩である。当日は各種イベントが開催され、まつりのフィナーレには10分程のダイナミックな打上げ花火が空を彩る。湖面に浮かぶ花火には、志賀直哉が追想した火の行方もかさなる。                                                                                                                     

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