徳島県 謎解き散歩

2013年3月21日

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徳島県 謎解き散歩
著 者:須藤茂樹

出版社:新人物往来社文庫

書は徳島県について、大学教員や博物館学芸員らの書き下ろしにより、様々な角度から知られざる徳島の解説が満載で、しかもコンパクト。古代神話では、淡路島とかさなって、難波とつながりあって、徳島・阿波国。実は北の粟国(あわのくに)と南の長国(ながのくに)が大化の改新以降、「阿波国」とひとつになった国。やがて、律令体制の動揺の中で武士が実力を高めた平安末期、源平の戦い。天下に知れ渡った源義経の屋島の奇襲。血気盛んで周りの静止も振り切って難波から舟を出した義経が流れ着いたのは、屋島の讃岐国ではなく阿波国、今の徳島県徳島市の南、勝浦川の浜。しかし義経がもつ無謀ともいえる躍動が引き寄せた運であろうか。信西(しんぜい・藤原通憲)に仕え、後白河法皇の近臣で、平清盛と対立をして斬首された西光(さいこう・藤原師光)の、そこは出身地。その親族に助けられ、阿波国の山野を超え、天下の奇襲を義経は成功させたのだ。

本から始まる旅がある。

    オススメ旅プラン
  • 眉山ロープウェイ

    眉山
    びざん
     眉山ロープウェイ

    問合せ先:徳島市観光協会
    Tel:088-622-4010

    良時代天平期の734年、聖武天皇と難波宮に出向いた天武天皇の皇子の子、船王は、徳島県の眉山を春三月、「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山」と歌に詠む。これが山の名の由来。徳島市内、眉山の山頂までは、ロープウェイで6分で到着する。紀伊水道を一望できる。こぐ船の泊も知らずと終わる船王の歌の海である。大化の改新までの北の粟国と大和朝廷は、水運を使いつながりあっていた。そこには仏教思想もかさなり、眉山の穏やかなる山姿に、仏心を見る。

             

  • 難波宮跡公園

    難波宮跡公園

    住所:大阪市中央区法円坂
    問合せ先:大阪歴史博物館

    島市の象徴、眉山にその名がつくのは、天武天皇の皇子の子、船王が難波宮で詠んだ歌にはじまる。その難波宮は大阪城に近く、上町台地の北端にあった。難波は、大和川で明日香に通じ、また、元は大きな湾だった大阪市内を見渡せた。発掘調査の結果、聖武天皇が造営した難波宮は、本格的な都であった可能性が指摘される。聖武天皇は、天武天皇と聖徳太子の仏教による鎮護国家思想を受け継ぎ、大仏開眼供養会で伎楽頭を務めた船王もその思想に深く帰依する。

     

  • きばなふじ

    源平合戦図屏風(屋島合戦)

    住所:愛媛県今治市旭町1-4-8
    Tel:0898-23-3810

    いのあまり無茶を通し見当違いの地に漂着した義経。奇想天外の兵法家のその行く先は、華やかな舞台とやがて訪れる奈落の底である。勢いがひとを押上げ、またそこから引き下ろす。近世になって土佐派を再興した土佐光起が筆を取り、義経の阿波国漂着後の華やかなる舞台を描いたとされるのが、屋島合戦の本屏風である。荘厳なる色彩の中に、躍動があり、リズムがある。若き義経の風も感じる作品である。

    ※画像:河野美術館蔵

               

徳島県 謎解き散歩

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